本丸跡

安土城天主から少し降りたところにある本丸御殿跡。「信長公記」によればこの建物には天皇を招き入れる「御幸の間」があったと記載されている。

その後の調査で慶長年間に改修された京都御所内の天皇の住居である清涼殿と酷似した構造になっていたことが判明。さらに礎石上の柱痕から、この建物が高床式であったこと、周囲に伝三の丸跡や天主取付台と渡り廊下で繋がっていたことなどが明らかとなっている。

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