信長公本廟
天主跡西下の伝二の丸跡に信長公の本廟がある。重臣・羽柴秀吉は天正十一年一月三法師に年賀を表すべく登城し、翌二月、信長公ゆかりの安土城二の丸跡に太刀、烏帽子、直垂などの遺愛品を埋葬して本廟とした。 そして六月二日の一周忌...
2018.12.01 2018.12.01 2018.12.01
天主跡西下の伝二の丸跡に信長公の本廟がある。重臣・羽柴秀吉は天正十一年一月三法師に年賀を表すべく登城し、翌二月、信長公ゆかりの安土城二の丸跡に太刀、烏帽子、直垂などの遺愛品を埋葬して本廟とした。 そして六月二日の一周忌...
安土城天主から少し降りたところにある本丸御殿跡。「信長公記」によればこの建物には天皇を招き入れる「御幸の間」があったと記載されている。 その後の調査で慶長年間に改修された京都御所内の天皇の住居である清涼殿と酷似した構造...
背丈ほどの高さの石垣に囲まれ、東西、南北それぞれ約28mの台地。今は礎石が1.2mおきに整然と並ぶだけであるが、この部分は、天主の穴蔵(地階の部分)にあたり、その上にさらに大きな天主がそびえていた。 五層七階(地上六階...
織田信長公が天下統一を目標に、
天正四年(一五七六)一月十七日、重臣である丹羽長秀を総普請奉行に据え、
標高一九九mの安土山に築城させた平山城。
岐阜城よりも京に近い利便性があり、北陸・東海の要所であった。・・・
受付を通って大手道を登り切ったあと天主跡方面に向かって右折する。信長公本廟に立ち寄ってから本丸跡を通り天主跡へ。
在りし日の天主を思いながら、来た道を戻って摠見寺跡方面へ。
大きな摠見寺跡からは西の湖が見渡せ、重要文化財の三重の塔や二王門をくぐり抜けて階段を降りていくと道なりに受付方面へ木立の中を歩いていける。
遠景山摠見寺は、臨済宗妙心寺派の寺院である。
安土城築城築城(天正四年)の際、
信長公が他所より移築し自らの菩提寺とした。
信長の死後、安政元年、火災により本堂などを焼失。
今は礎石のみが三重の塔の北側に遺る。
昭和七年、仮本堂が伝徳川家康邸跡に建てられ、
現在に到っている。
信長公所用の鉄鍔、陣羽織が伝えられている。
不定期ではあるが、主に土・日曜日や祝日に
特別拝観(抹茶付)を実施している。